うんざりする程うっとしい配偶者と仲良く暮らす方法

ガミガミの親はガミガミと相場が決まっている

人は、育てられた環境で将来が決まります。親の育て方がどうだったかで、その子の生き方が決まるのですから、親は大きな任務を背負っているのです。ですが、その正解を誰も出しませんから、親は弱者の子どもにいろんな欲求をぶつけながら育てます。子どもから見れば、親は神様のような存在です。その人に見放されたら生きてはいけないのですから、子どもも必死になります。しかしそれは、大人の機嫌で子育てが変わる場合の子どもの気持ちです。

子どもは自然の生き物で、子どもはわがままで、子どもは自己主張をするもの。そこがピュアで愛おしい。と思える親なら、子どもは伸び伸びと自由に育ちます。その子の持って生まれた才能を存分に発揮しながら成長していきます。そのような純粋な子どもを、時にはしつけ、時には注意をし、時には怒りながら愛情を持って見守っていける親なら、その子は将来どんな逆境に出会っても、親の愛情を防波堤にして悠々と困難を乗り越えていきます。

親からもらった無償の愛情という防波堤は、親が他界した後も、その子が年老いても永遠に続きます。育ってきた環境で、たっぷりと愛情をもらった子どもは、次に外に目が行きます。ですから、元気に、外に社会に飛び出していけるのです。無償の愛情をもらえてない子どもは親が気になって外にはいけません。社会に元気に飛び出してもいけません。もちろん、防波堤も持っていないので、何かがあると潰れたり、乗り越える気力が無かったりするのです。

育てられたようにしか子どもは育たないというのはこれが所以だと思います。ですから、ガミガミ言う配偶者の親は、ガミガミな人と相場が決まっています。コミュニケーションツールとして「怒る」「批判する」の二つしか持ち合わせていないのではないかと思うくらいです。そのような人は、他人に怒れる機会があると、嬉々として出ていきます。

「怒れる機会」って変だと思いましたか?たとえば、自分の家の車庫の前に誰かの車が停まってて、車が出せない。という場合など、完全に怒ってもいいシチュエーションですよね、こんなときです。その人の無意識が「やったー怒れる!」という感じに喜びます。そして堂々と怒るのです。そして、怒っていることに快感を感じます。しかし、理路整然と話そうとする相手なら、思い切り怒れないので変な終息を迎えます。

とにかく、相手も少々失礼な人くらいがちょうどいいのです。思い切り「怒れる」から。今のシチュエーションなら、「車を出したいので動かしてくれませんか」と一言いえば済む事です。車の持ち主がどこに行ったかわからなくても、近所を回ってみるとか、こちらも急いでいるなら、少し大きな声でナンバーを読みあげてみるとか、方法はいくらでもあります。

あなたの家のガミガミな人は、どうですか?そして、あなたはどうですか?あなたの配偶者の事を考えて、自分の事も考えるといいかもしれません。私はどう思っているのか?同じように怒りたくなるのか?もしくは、優しく車の移動を願っていても、相手に恩を着せた感覚で終わることを望んでいませんか?ここにも心のひずみが隠れています。

心の問題は奥が深すぎて、ここには書ききれませんが、本人も自分で気づいた時しか内容が心に入って来ませんので、意味がわからない方は、次の機会にお会いしましょう。それがあなたのリズムですから、全く問題はありませんよ。